図太い神経を養う −失敗は気にしない−  作:高杉伸二郎


若いうちにこの図太さがあれば悩みは少なくて過ごせたものだろうと思い、酒席などでは立派に成長されている後輩諸氏に話したりしているが、当たり前な幼稚な話として一笑されるのが落である。しかし経験を積めば誰しも身につくことだろうが、少しでも早い時期に人の経験をよく理解し、自分のものにして人生を過ごしてほしいと思い述べてみたい。
何事も「経験して初めて人の話を本音で聞く」とはよく言われることで車の運転でも無事故の人よりは事故経験者の方が種々の事例を自分の運転に照らし合わせて聞くことができ、安全運転の心構えが板につくということもある。
そこでいくつかの私の経験を例にして、「人目は気にしないでよい」ことを述べるが、人生の若いうちに種々の難関に直面した時の心構えの参考にしてほしいと願うものである。
「自分で想像する何分の一しか他人は自分を見ていないもの」である。 大失敗をやらかした行動や無知をさらけだした恥さらしの発言も、終わったことはいつまでも気にしないことだ。反対にまた人に評価されたと思った業績、行動もいい気になっていれば人は印象を悪くし、すぐ帳消しにしてしまうものである。

 大学卒業後最初の勤務場所の研究機関を退職して転職することになった。
転勤間もなくのこと、勤務先に顔を出したら「国立遺伝研究所の大先生F教授が外国人の研修生数十名を連れてこられるので半日講義をしろ」という。ここでは珍しくない毎年の行事とかいうが、突然そんな事を言われても戸惑うばかりだった。ここでは見学者が多く10名の研究員が順番に案内をしていて、今回は私が担当となるという。「講義をするといっても英語は得意ではないし、ましてこれからここは初めて勉強するところなのに」困ったことになった。できないといえない羽目に陥っていた。仕方がないので先輩のここの研究所の英文要約をゆっくりと時間を稼ぎながら読んだ。時間が余るので読み直したり冷や汗のかき通しだった。一番辛かったのは大先生と英語に堪能な外人担当の教育主任が横におられることである。しかし生徒も先生も眠ったふりをしてくれたのて助かった。大恥をかいたと思っている。大先生もとやかく言われず、自分がどう見られたかと大変気にしたが、「これも一時の恥」だとあとで悟った。私には強烈な思い出だが、時も経ち自分の恥ずかしさも薄らいでいった。以後この経験によりちょっぴり図太さを身につけ、新分野の研究に携わり、直ぐ司会、座長などする窮地に至った際に役立った。

「努力を評価すべきだ」と強調したい。人生には自分に不適で能力を発揮できない職場で働く場合も出てくる。そのような場合努力してできなくても落ち込む事はない。また人より苦労しても業績の上がらないことも多い。人は顔、形に違いがあるように当然能力にも生まれつきに備わったものがあり、努力して磨いても人それぞれ限度というものがある。多くの研修が続き、中年男性にとって難解の勉強はきつかった。酒と馬鹿騒ぎで心を癒したが基礎知識の無い勉強は空回りばかりでしかなかった。そんな落ち込んでいた私に聞こえるようにか当時の所長の話し声が耳に入った。「高杉君は一生懸命に努力しているネ大変だろう」と。「そうだ努力か、人には生まれつきに能力の違いがあるのは当たり前だ。努力こそ評価すべきとはいいことをいわれる」子供のときから耳にタコができるくらい聞いた言葉だが本音で理解した。それ以後、一生懸命努力している人の見方も少し変わったし、努力してできない場面に遭遇しても気は楽だった。人生の基本も40歳にして分かったとは情けないが。

「時が解決する」とはこれもよく聞く話だが、事前に時が解決するものと腹を据えて物事に対処することは難しい。しかしこの事を心得て当面能力の精一杯のことをすればよいと思えばストレス解消に役立つ。「何とかなるさ」が大きな強みとなる。
近年は図々しさをわきまえている頼もしい青年が多いので、言わずもがなのことかも知れないが、語学が苦手な者にとって、最初の海外出張は、緊張するものである。
中期留学制度による海外調査で米国、ヨ−ロッパ4カ国に行く事になった時のことだ。成田から米国行飛行機に搭乗と同時に隣席の外国人に話し掛けられた。「 どちらに行かれますか?」「オレゴンです」「?・・・」「オレゴン」通じない「?・どこへ行くの」再度聞かれたので、「OREGON]とメモしたら「おお、アレガンか。」発音の違いに戸惑ったものだ。
空港に着いたら迎えにきてくれている筈の相手がいない。電話帳で名前を探し出し海外初の電話をかけたが何回やっても通じない。電話の使い方が違っているかと近くにいた人に聞いたが、私の使い方でOKと言う。しかしどこか使用法が間違っているのか通じないので弱り果てていたら、横から人が割り込んできて電話をかけた。ところが首をかしげて走り去り別の電話の所で掛け直している。「何だ故障電話だったのか」私も別の電話で掛けてやっと通じた。故障とは気がつかなかった。「迎えに行けなくなったので着いたら電話しろ」と電話番号を書いた手紙は私の出発後に届いていた。当時は国際電話はまだ高いものだったので使用許可書類が必要で利用し難いものだった。FAXもなく航空郵便でも片道3週間もかかってやり取りしていたので苦労したものだ。
出張中の搭乗する便の変更をした際も、電話で一方的に話して手続きを済ませたまではよかったが、荷物が届いていないので紛失したのではないかと思い、調べてもらったら航空会社の荷物係りのミスで荷物のラベルが変更前のものになっていたのが分かった。慣れないと何でも自分が失敗したと思い込むものだが、これも国内同様チェックさえすれば無難に終わる事が多い。渡航2回目になると全く心構えに余裕ができる。時が経って見れば、成功と失敗はすべて一括して過去の思い出となっており、最初の出張の直前の不安が不思議なくらいに思われる。

図々しさを培うことで、ストレス解消の助けとなればと述べてはみたが、単なる転勤時や出張の際のこぼれ話になってしまったようだ。


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