「敬語」と「敬い」  作:cue

<原文>
有子曰はく、其の人と為りや孝弟にして上を犯すことを好む者は鮮し。上を犯すことを好まずして乱を作すことを好む者は未だこれあらざるなり。君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝弟なる者は其れ仁を為すの本か。

【論語 学而第一】

<現代語訳>
子弟の人柄が父母にも長兄にも良く仕えるようであれば、目上の人に対しても道理に外れたことはしないだろう。上の人に対して道理を大切にする人は、上に逆らったり争うことを好む人はいない。学問を志す者は、何事も根本を大切にする。根本が確立していれば、道は自然に生じていく。このように、父母にも長兄にも良く仕えることは、仁をなす根本となるものだろう。
【凡人でも楽しめる論語 より引用】

上記は論語の中でも有名なもののひとつである。
近年日本人が敬語をつかえていないと問題になっている。
特に若者が敬語をつかえていないというのだ。
「言葉は変化していくものである」と言ってしまえばそれで終わりであるが、
本当の問題は表現の仕方ではなく、もっと根本にあるのではないか?

まず疑問に思うことは、なぜ上司や教師に敬語を使わなければいけないのか?ということだ。
社会的立場が上だから使っている、といった答えが一般的であろう
しかし本来は敬いの気持ちが言葉に表れて敬語になっていくはずである。

しかしながら世の中の敬語は「形式的」なものばかりだ。

確かに物事を円滑に進めていく上で敬語は必要になるかもしれない。
しかし中身のない言葉をただ言っていくのもいかがなものか…
立場が上の者には敬語を使わなければならないといった常識を押しつけている大人はどうなんだろうか。

本質である「敬いの気持ち」が薄れているの大人も若者も同じなのではないだろうか?

敬いの気持ちを持たない大人が作った社会では、敬語という「言葉」が独り歩きしている。
最も歴史が深いであろう日本語に込められてきた先人の思いはどこに云ってしまったのだろう。
「あたりまえ」だから使っているのではあまりにも悲しい。
孔子の言っているように中身がなければ言葉は生まれないのではないだろうか。
2500年前の人間がわかっていることを現代人は理解できているのだろうか?


「"根本が確立していれば、道は自然に生じていく。"」

常識を押しつけられる今の社会を変えるには根本を理解することが必要なのだろう。


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