いじめ解消  作:高杉伸二郎


父は樺太に転任と言うことで、家族は郷里の田舎に戻り、父は当時としてはまだ数少ない単身赴任となった。父からの便りに『もうすぐ中学生だな。転校してしばらく経つがもう慣れたかな。田舎の学校では剣道、柔道が盛んだと言うが、柔道はお父さんが仕込んだから大丈夫だろう』と書かれていた。大学柔道部の主将で講道館5段の父は、休みには必ず私を連れて近くの高校(旧制高校で今の大学1、2年に当たる)の柔道部へ行き、勝手に乱取りをやっていた。ついでに伸二郎をつかまえては投げ技や、寝技の基本の型を教えたので、このことを言っているのだろう。

 小学6年夏の転校だった。軍隊の町でスパルタ教育を受けていた伸二郎は、毎日教師からビンタをもらった。声が小さい、返事が遅い、国語、算数など答えを間違えた数だけ頬を殴られた。当時はこの町には軍隊師団があり小学校にも、教練の軍人がくるくらいだったので、殴るのは当たり前だった。
田舎に転校してまもなく伸二郎には身に覚えがないのに、いじめのためか「高杉が女子生徒のスカートめくりをした」と先生に告げた者がいたらしい。早速この学校では最も恐れられていた教師に呼び出され、大勢の生徒の前で「馬鹿者!!」と平手打ちを食わされた。ここでは体罰は少なかったらしく気の毒がる生徒もいたようだが、伸二郎は前の学校が軍隊教育だったので、問答無用で体を除けたり言い訳をすれば、その分余計に叩かれたものだったので、体を除けずに、先生をにらみ返した。
このことが一躍生徒間の話題になり一目置かれたみたいだった。
 
中学にはいると、Sが柔道でいじめにかかるつもりで「高杉、お前とやろう」と伸二郎に呼びかけた。聞くところによると茶色帯であるという。警察道場に通っている少し柄の大きい男子で強いと言われていた。初段を取ると黒帯だが、初段になる前のテストで合格すると1級の茶色帯が与えられる。私は自信がない。それもその筈で父以外は、父の稽古指導中、手持ち無沙汰な旧制高校生と柔道の真似事みたいな乱取りをした以外なかったからだ。これもこちらが子供なので相手はたまにわざと技にかかってくれたりした。

廊下で柔道のまねごとが流行(ハヤ)っていた。
「高杉、怖いのか、来いよ!」
みんなは興味を持ってみている。仕方なく取り組んだが、私は背が低く力も強くない。しかし有名な三船十段は小柄だが、足払いで相手を倒すということを父から聞いたことがある。当時は今のように体重別は存在しない。小柄な者も大男も区別無く、すべて無差別級試合しか存在しなかった。すなわち、柔道の神髄は『柔、よく(能く)剛を制す』だ。
組んだとたん、横にすり足で相手左足に体重がかかるのをみて、すばやくその足を払った。“送り足払い”だ。『ドスン!』、油断していた精か、不意を食らった相手は見事にひっくり返った。父に教えて貰った通りやっただけだ。顔を真っ赤にして今度はムキになってきた。伸二郎はマグレだと思い、もうこれ以上やりたくなかったが、今度は相手が力づくでグイグイ押してくる。もう逃げられない。 “体落とし”をかけてみた。また一発で決まった。もう負けて元々だとヤケクソに左足先に体を預けて“横捨て身”を試した。『ヤッタ!』。 夢みたいだ。こんなにうまくいくものか。皆が遊びでやっているのは、“小内刈り”“大外狩り”“背負い投げ”が殆どで、いつの間にか大勢が取り巻き始めた。相手は格好悪くなり、やめてどこかへ行ってしまった。
それからは伸二郎を見る回りの目は変わったようだ。

勉強で優れていたり、工作、絵が得意だったり、水泳、走ること、逆立ちなど何か一つ得意のものがあれば認められる。温和しすぎても親友を作ればよい。昔でもひとりぼっちは、いじめの標的になりやすかった。
でも一時期を過ぎれば過去のことになり、何故昔は悩んだか不思議に思えるだろう。
必ず時が解決する、今を悲しむな 失恋、いじめ 留年 失職 いろいろの心の苦しみは、却って後の糧(カテ)となることが多い。



コメント

伸二郎 2010/12/06 08:53
小さい時から何でも良い、特技をもつことはいじめ防止に役立つ。


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