かるた会  作:高杉伸二郎

 昔は正月の遊びと言えば小倉百人一首つまり『かるた』であった。小学生以上になると家族・友人などで上の句を読んで下の句の紙札を取り合う、かるた会が行われていた。
高杉がK中学に入った年の正月である。家の近くに住む親戚も集まってトランプなどしていた。
「正月だからかるたをしよう。そして負けた者は何か唄を歌うことにしたらどうかね」
「よし、そうしよう。皆でやろうよ。伸ちゃんもこちらに来て」
「僕は棄権だ。だって全然かるたなんて知らない。上の句から下の句なんてとれないよ」
「大丈夫、上の句を知っていても下の句を読むまでそんなにとれる人はいないから。伸ち ゃんは運動神経がいいから、結構とれると思うよ」
 最初に空札一枚を読み、その下の句に続けて競技用の第1枚目の上の句を読む。ここから始まる。母が読み手となり、札をばらまいて、獲得枚数を競ういわゆる“ちらし”という『お座敷かるた』が始まった。

「伸ちゃんの取った数が一番少ないね。負けた罰よ。何か歌いなさい」
 皆が歌え歌えと急(セ)かすのだ。急かすと ますます何をやればよいか分からなくなる。
「皆が下の句を読む前に取ってしまうから負けるのは当たり前だ。もう止めた!」
「あれあれ、折角皆が楽しんでいるのにしらけてしまうよ」
 かるた取りは、百人一首をある程度覚えている者の競技である。不公平だ。

 それから伸二郎は(来年は負けるものか)と思い、日本かるた協会競技規定や参考書などを買い込み、読み漁(アサ)った。すると興味が湧いてきた。戦い方について書いてある。 札を取るときの座り方は、左足に尻を置き、横座りに構える。右肩を前に落とし右手を活動しやすいよう身体の前の畳に軽く触れる。左手は左膝の前で身体を支えるなどである。何分の一秒を競うための技術も必要とのことだ。
 また歌の解釈、読み手の読み方の調子、第1音の発声の間、高低いろいろある。

 1字札(友札がない同一音で始まる札が1枚だけのもの、『むすめふさほせ』の字で始まる)の7枚から覚えた。「村雨の……」の“む”と言えば「霧立ちのぼる秋の夕暮れ」、「住の江の……」の“す”といえば「夢のかよひぢ人目よくらむ」を取って良い。次に2字札『つゆもうし』、3字札『いちひき』、これも同一音の決まり字(2字目や3字目で決まるもの)の話、つまり一度出たら次は1字札や2字札と同じ条件になる。暗記のあとは練習である。かるた協会では一年中練習を欠かさないようだ。かるた好きの人はこの町でも12月に入ると練習をはじめ正月に備える。伸二郎は少なくとも親戚のかるたが得意と言う人に負けたくなかった。

 その年の暮れになって、我が家の仏壇にお経をあげに来てくれた寺の和尚が、お経を終えたあとお茶を飲みながら言った。
「私の家族はかるたが好きでしてね。今からもう練習していますよ。正月は私が読み手になって、かるた会をすると、見知らぬかるた好きの人がその声を聞きつけて参加するのです。こういう人は結構強いので違う方とやるのも楽しみです」
それを聞いて母が言った。
「はあ、そうですか。うちの伸二郎が春からかるたを勉強しているらしいが、遊びにやらしていいですか。伸ちゃん行ってみる?」
「そうだなあ。まだ覚えたばかりで恥ずかしいんだが、邪魔になるかも知れないし」
「大歓迎ですよ。新顔はみな喜びます。大勢なので二組に分かれてやる源平競技です。下手でも気にしないでください。一対一の競技かるた(一騎討)ではありませんから」

 正月になった。このことを覚えていたらしく寺から誘いがあった。
「これから毎晩かるた会をします。よろしかったら伸二郎君見にいらしゃい」
 少し恥ずかしかったが夕食後言われた時間にあわせて寺に出かけてみた。本堂にはすでに十数名集まっていた。ゆっくり話をするのも時間が惜しいらしく、
「すぐ始めましょう、いつも通り源平です。今日は高杉さんが参加されます」
「高杉さんは初めてのようですから私の組に来てください」

 てきぱきと住職の奥さんが、持ち札を50枚づつ分け、指名して二手に分かれるよう指示する。先になくなった方が勝ちとなる。3列に置かれた後方に手を置かないといけない。両手は用いては駄目、読む前に手を出すななど事前勉強が役立った。奥さんや娘さんはなかなかの腕前と聞いていた。

「空札1枚、これやこのゆくも帰るも……」
和尚の朗々たる声が響きわたる。シーンと静まり返った。息を止める。
「知るも知らぬも逢坂の関イイイ−−……」
下の句の1秒後の次の第1音を待つ。
「めぐりあひて……」
 出た!最初から1字札だ。誰も得意とする札だ。伸二郎は偶然にその下の句「くもがくれにし……」に目をやっていて上の句“め”だけでとれることを確認していた。
「ハイ!」
 軽く相手方にあった札をサッと払った。
「あら、高杉さん、凄く上手じゃないの」
 斜め前にいた女学生が言った。今まで緊張していて人の顔は見ていなかった。寺の娘ではない。かわいい丸顔だ。ちょっとだけ心がときめいた。
 競技は進んだ。みな最初の5字以内で素早くとる。それでも高杉は平均的枚数はとれた。終わるとすぐ次が始まる.4時間ほど連続して休み無しだ。汗びっしょりである。
「さて10時よ。一休みしましょう」
 お茶が出だされた。
「疲れますね。かるたはスポーツです。緊張の上に瞬発力を要求されるのよ。若い人には負けますわ。」
奥さんが続けていう。
「高杉さんたら、初めてでは無いでしょう?そのくらいとれるなら競技会に出られたらいいですよ。私はもう反射神経が鈍くなって、分っていても手がでるのが遅くてね。もう歳だわね」
言われてみれば伸二郎は回を重ねるごとに気合い負けしなくなり、札の位置、攻撃の仕方など本で学んだことを思い出し、忠実に実行したおかげで、居並ぶベテランと遜色ない活躍だった。むしろ奥さんの言うとおり若いだけに最後には上位の腕前をみせていた。

「さてまた始めましょう。高杉さんが上手だったのでこちらが勝ってばかりなのよ。組み替えましょう」
 えらく評価されたものだが、まんざらでもなかった。特に娘の前で誉められたのだから。 夜の更けるのも忘れ、かるたに興じた。
「この調子ですと徹夜になってしまうわ。まだ正月の序の口よ。今回はこの辺でやめましょうね」
時計は深夜2時近くになっていた。当時車を持っているのは往診用の車をもつ医者くらいである。

「高杉さん。自転車で来てるでしょう?石田さんが同じ方向なので送って下さらない?」
 奥さんが伸二郎に声を掛けた。びっくりした。先程かわいいなと思った娘だ。中学2年の伸二郎より一つか二つ年上らしい。
「はい」
といったもののこんな夜遅く帰ったことは無かったし、まして娘と二人で帰るなんてとんでもないことになった。当時は現在よりは躾(シツケ)が厳しく10時以降の夜更かしは禁じられていた。皆かるた会というので特別視するのだろうか。良家の娘らしいが夜更かしして怒られないのか。寺も娘を遅くまで遊ばして抵抗は無かったのか、不思議だった。

男子校に通っていて女子と話す機会が全くないまま思春期に入った伸二郎は、心臓がドキドキして止まらなかった。娘を送っていって家の人に怒られるのではないかと思った。
「高杉さん。済みません。送っていただけるの?」
「どうぞ。自転車の後ろに乗ってください」
 夜道を走り出した。見かけより体重を感じた。走り出すのに少しぐらついた。すると彼女が両手で伸二郎の腰にグッと抱きついた。
〈アア、もうたまらない〉、くすぐったいような性感を覚えた。 人影は無かったが恥ずかしかった。しかし腰にまわされた手の感触は何とも気持ちいい。
 このまま いつまでも走り続けていたかった。

「僕は初めてあのかるた会に出たのですが、石田さんはよくいかれるのですか」
「はい、あのお寺のお嬢さんが私の女学校の先輩です。学校で毎年かるた会があって、あの人が優勝し、私も決勝に残ったりして親しくなり、それで誘われてたの」
「僕は知らない女学生と同席する機会なんてはじめてでした。あなたも一緒で楽しかったですよ」
「そうかしら、高杉さんはかるたに夢中で、人の顔を見る暇無かったでしょう」
そういわれればそうかもしれない。最初向かいに座っていた彼女が声を出したとき、少し気になったが、その後は確かにかるたに熱中していたのは間違いない。初競技だったので必死だった。
「そう、一生懸命だったのは本当です。みんな闘争心むき出しだったし、新米の僕が下手だと迷惑をかけると思って。石田さんは最初にどこの方かなと気づいていましたが」
「あら、もう私の家はこの裏なの。ここで止まってください。有り難う」
「ああもうここまで来ていたのか。僕の家もこの近くです。お休みなさい」

 家ではもう寝静まっていた。そっと鍵を掛けてなかった戸あけ、
「タダイマ」
 と小さな声をかけ自分の部屋に入った。
 しばらく興奮して寝付けなかった。夢のようだった。思った以上の成績をかるた会でだせたこと、小さな石田さんと出会ったことなど楽しい思い出となった。
 手をみたら右手に傷が一杯ついていた。札を取るとき相手の手と接触し引っかけられたり、突っつかれたりしたものだ。かるたを取るときは払う、突くが基本であるからだろう。

 もうお座敷かるたでは面白くなかった。
 競技かるたで技を競うのが一番だ。25枚づつ持ち札とし、2人で一対一で勝負する。先に持ち札が無くなれば勝ちだ。札は前方3段に並べ、対者の上段札より縦8寸3分、横2尺9寸以内にする規定がある。

 どこか街を歩いていて、かるた会の声がすると覗きたくなる。しかし寺のような雰囲気で真剣に競技する雰囲気はあまりなかった。
 
 その後、遊びかるたでは負け知らずのまま時は過ぎたが、 K市を離れ、かるた会に出る機会はなくなった。
 あの帰り自転車の後ろから抱きつかれた石田さんの手の感触はいつまでも残っていた。


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