私はあの時死んでいた?その2  作:高杉伸二郎

 小学校に入り4年生になった。
 戦時のことで“国民皆泳”という言葉をよく耳にした。姫路市付属国民学校(小学校)では、4年生以上はすべての者が泳げるようにならなければならないのだ。全員川に連れて行かれ水泳記録会をやることになった。特別な学校以外はプールなどどこにもない。

 クラス全員が目的の川に集合した。川幅は20mくらいだっただろうか。雨上がりの日だったので川の流れは結構速い。5mも中に入ると子供の背丈では立てない深さである。5人が1組になり背丈がやっと立つ浅瀬に入り一列に並ぶ。川下に向かってスタートする。泳ぐ速さには関係なく泳いだ距離を記録するのだ。
2mくらいの太い竹を沢山用意していて、溺れそうになった生徒がいたら、先生が投げてくれるので、これに捕まり川下にいる先生に助けられる仕組みだ。
 泳いだ距離をみるため、10mごとに河原に棒が立てられ、50m泳いだら折り返して川上に泳ぎ100mまで泳ぐのを目標とされた。

 先生のスタートの声を合図に泳ぐのだが、最初は浮いていれば流されるので、距離は稼げる。平泳ぎやクロールで泳ぐのだが中には数メートルくらいからあわてて『犬かき泳法』に変わる者がいた。全く泳げない者も容赦なく川に放りこまれる。川下では竹をつかんで流された脱落者が水を吐かされ介抱されている。

「次の組、スタートラインにつけ!」
 私の泳ぐ番である。海で泳いだ経験しからなかった。川は初めてである。流れは速いし水は冷たいので恐怖心で一杯だ。最初は川下に向かうので浮いているだけであっという間に50m折り返し点に辿り着いたが、今度は川上に向かわねばならない。平泳ぎでは少しも進まない。いや後ろに流されるようだ。クロール(自由形泳法)でも斜めに泳がないとだめだろうが力つきた。手を振って叫び先生に助けを求めたが、気がつかないふりをする。背丈が立たない深さだから溺れそうだ。水をがぶがぶ飲んだ。死ぬかと思った時、竹が目の前に差し出された。
 翌日、記録会の成績発表では私は50m完泳となっていた。記録会でおぼれた者は大勢いた。今思えば無茶をする時代だった。後にこの話を同窓会でしたら、皆「今では考えられないなあ」と言っていた。



コメント


名前
評価

Novel Place CGI-Sweets